母の日はキライだ
以前にも書いたけど、私には母がいない。
かすかに記憶はある。
いつも仕事で疲れ果てている母の姿。
母がいなくなったのは私が小学2年生の時。
いつものように学校で給食を食べていた時、教室に教頭先生があわてて駆け込んできて、何か担任の先生と話をしているなと思っていたら、私が呼ばれた。
「お母さんが仕事中に倒れた」と聞かされたけど、その時の私は何の事だか全く理解できていなかった。
先生の車に乗せられ、どこだかわからない病院に連れて行かれた。
病院に着き、母がいるという部屋に連れて行かれたが、ベッドの上にいる母と思われる人の顔には白い布がかぶせられていた。
医者と思しき人がその布を取ると、母だった。
ただ寝ているだけのように見えたけど手は冷たかった。
この時も私はまだ母の死を理解していなかった。
病院まで連れてきてくれた学校の先生が隣で泣いていた。
大人が泣いているのなんて見たことがなかったから、ただ驚いた。
悲しいという感情はなかった。
この後のことはよく覚えていない。
気が付いたら児童養護施設で暮らすことになっていた。
これが私の中にある母の最期の記憶。
毎年この時期になると母のことを思い出す。
街のあちらこちらで母の日という言葉を見かけるようになるからだ。
私には感謝の言葉を贈る母はもういない。
今になって、母がいなくなってしまったことの悲しさを理解した。
小学2年生の時には出なかった涙が、今私の頬を伝っている。
母にありがとうと言いたい。
どんなに頑張っても、この願いだけは叶わない。
だから母の日はキライだ。